日本消費者連盟
すこやかないのちを未来へ
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2017年3月号「福島の農産物は食べられますか」

福島の農産物は食べられますか

福島大学うつくしまふくしま未来支援センター 農・環境復興支援部門(造園学) 石井秀樹特任准教授に聞く

2013年4月6日、日消連主催のシンポジウム「被災地の農業再生はいま」に講師として出席された石井秀樹先生に、その後の福島農業の状況を聞きました。石井先生は、関東に暮らしていた事故直後から原発災害にどう向き合うか悩み、自ら福島で研究する道を選びました。「現実に現場で何が起きているかから出発したい」と実践に励んでいます。

――福島の農業は、この6年間どうやって再生を図ってきたのですか。
 2011年度は暫定基準値が500Bqでした。お茶、米、牛肉などで暫定基準値超えが確認されました。政府や自治体、生産者と農協、消費者と生協、研究者のそれぞれが現場対応に追われ、試行錯誤の連続でした。農地と食品の放射能計測、放射能の学習と対話、セシウム吸収の少ない作物の見極め……。安心と信頼を回復するため、あらゆる対策を模索し発信してきました。
 土壌汚染は甚大でしたが、その一方、最も問題になった放射性セシウムが不検出(数Bq/㎏以下)の農産物も数多くありました。日本の土壌はセシウムを固定し、作物への移行を抑える粘土鉱物が豊富にあったからです。事故直後は空から降下した放射性物質が作物表面に付着しましたが、2年目以降は土からの吸収が主で、その影響が予想外に少なかったのです。
 2年目以降は、食品衛生法上の流通基準100Bqを越えるものは本当に少なかったのですが、農家は米を作る時は、セシウムと化学的性質が似ているカリウムを含んだ肥料を散布し、作物にセシウムが移行しないようにする取り組みを始めました。

――福島の農産物はいま安心して食べられますか。
 安心を担保するには、まず安全でなければなりません。食品衛生法上の基準は、100Bqです。現在流通が許可される農産物は、モニタリング検査では、基準値超えする食品は確認されず、圧倒的多数は放射能が不検出です(検出限界値は数Bq)。米は全量全袋検査の結果、2015年、16年と基準値超えする米がないことが確認されています。
 安心は個人が認識するものです。誰にも安心を押し付けることはできません。福島では地域に測定所があり、消費者自らが食品中の放射能検査ができるようになっています。福島以外の関東などでも市民測定所があると思います。「福島は安心か?」と誰かに答えを委ねるのではなく、自ら考え、自ら測ったり調べたりすることが、安心を得るためには重要なのではないでしょうか。

――先生ご自身や周囲の方に伝えている福島産の食べ方の基準は。
 基準値や食品中のセシウム濃度が注目されがちですが、それは絶対的指標ではありません。むしろ摂取するセシウムの総量を管理し抑えることが最重要です。セシウム濃度が高くても、摂取量が少なければ内部被曝は抑えられます。米などの摂取量が多い食品では、濃度が低いものを食べることで全体として内部被曝を減らすことができます。
 流通する野菜・果物では、基準値を超えるものが確認されていません。万一、セシウム濃度が高いものを食べても、スーパーなど市場を通じて購買する限り、同じ圃場で作られたものを食べ続けることは考えにくく、内部被曝の積み重ねは生じません。自家栽培したものは、それが汚染されていた場合、継続的に食べ続ければ、内部被曝が個人に集中します。こうしたものは放射能を計測し、安全を確かめて食べる必要があります。

 
自宅で食べる米は放射能測定し、納得したものを食べています。米は摂取量が多く、特定の農家から購入する場合は、内部被曝が個人に集中することもあります。逆に1度の測定で、しばらく食べるお米は全て安全が確認できるので、米は測定する甲斐があります。福島県産のお米は全量全袋検査がなされ、バーコードからセシウム濃度が調べられます。
 天然の山菜、きのこ類、イノシシなどの野生動物は放射性セシウム濃度が一般に高く、食べないようにしています。これは福島県産品だけでなく、東日本全体で注意が必要です。それらを少量食べても危険ではありませんが、継続的に食べることは避けねばなりません。普段、他の食品で内部被曝を注意していても、天然の山菜、きのこ類、イノシシなどを摂取すれば、日頃の努力が全て水泡に帰してしまいますから。
 
――本来、人が避難すべき1ミリシーベルト(mSv)以上のところで農業をすべきでないという意見があります。

 ICRP(国際放射線防護委員会)は、一般市民の追加被曝線量は年間1mSv以下にすべきとしています。原発事故が生じた直後は、一時的にこの値を超えるのはやむを得ないが、できる限り早く被曝を低減する対策をとるべきだとする放射線防護上のいわば「憲法」です。1mSv以上の被曝が想定された地域は避難の権利を認めるべきでした。ましてや放射線防護上の考え方を変えて20mSvまで安全だとして、除染をしてまで帰還をさせるのはナンセンスだと思います。
 日本で暮らしていれば、自然放射能による外部被曝や内部被曝、医療被曝により平均で2・4mSv程度の被曝が避けられませんが、国には事故による無用な被曝を減らす責務があり、国民には権利があると思います。ただ1mSv以上の被曝が想定される地域でも、避難を選択できない人々が沢山いますし、農業も行われています。地域に根付いて、そこで再生を図る人々が沢山います。その現実から出発するしかないと思います。
 一方、避難を余儀なくされた人々の中には、避難指示の解除を契機に、支援が打ち切られ、帰還を余儀なくされる人々もおられます。放射線の影響で戻れないと考える人々には移住を認め、それを後押しすべきだと思います。避難と帰還が強制されるのは二重の苦しみです。
 私は帰還を促進するための農業再生には否定的です。重要なのは、被災者の生活再建や福祉であり、場の復興ではありません。そのため避難地区の農地を維持するための研究は控えてきました。でもこれから帰還が始まる中で、その地で農業再開をする人がいます。現実の困難さ、矛盾に逡巡する時がありますが、帰還される人々の被曝を減らすための農業として、労働時間が少なく外部被曝が抑えられる飼料用のトウモロコシ栽培の研究を最近始めました。

インタビューを終えて
 大切なのは、場の復興ではなく、人の暮らしや幸せだと石井先生は言います。農業の復興は、汚染された農地がもとに戻り、安全な作物がとれること、そして農業をする人の暮らしがもとに戻り、食べる人とともに幸せを感じられることです。高い被ばくが明らかな土地での生活は、本来避けるべきです。しかし政府は国民の被ばくに目をつぶりました。そしてそこに農業をする人がいる、農地を守ろうとする人がいます。だから先生は逡巡しているのだと思います。人の暮らしや幸せは、本来誰にも決められないからです。