日本消費者連盟
すこやかないのちを未来へ
企業や国家の利益よりも人のいのちや健康を優先する世の中に変えたいと活動しています。

2017年3月号「作物を作っての農民、 自分が耕した健康な土あってこそ」

作物を作っての農民、
自分が耕した健康な土あってこそ
郡山市有機農家 中村和夫さん

「20年来、有機農業で育ててきた土を跡継ぎの息子に手渡せると思っていたのに。もうもとの土には戻らないと思うと辛い」と郡山市で14代続く農家の中村さんは言います。郡山市のある中通りには、1mSv以上の箇所が多い汚染状況重点調査地域が広がっています。国は強制避難をさせず、5000Bq以下の農地での農作業は許されました。

無力さの中に思いやりとプライド
 事故の起きた年、中村さんの米は10 Bq以下と低かったものの、それまで直販で繫がっていた顧客のほとんどを失いました。健康に敏感な人たちだけに無理からぬことでしたが、2010年産米まで断られた時には背筋がざわっとしたと言います。農家の母ちゃんたちが自力で開いていた直売所も売り上げが激減しました。週3日の運営でしたが、母ちゃんたちには貴重な収入源でした。

「ゼロBqでも福島というだけで拒否される。俺も孫がいるからわかるけどね。嫌だっていう人に無理に食ってくれと頼む理由はない」。中村さんの言葉からは、安全と言っても通じない無力さの中に、消費者の立場を思いやる気持ちと土づくりをしてきた農民としてのプライドが入り混じります。
 一度は直売所も閉店しようかと皆で相談した時、思い留まらせてくれたのは、文京学院大学の学生たちでした。農家民宿「なかむらさんち」に宿泊し農作業体験で繫がりのあったため、震災後、大学のある埼玉や東京での販売に協力してくれ、新たな顧客を増やすことができました。
 売り上げは7~8割まで回復しましたが、元の規模にまで戻すのは簡単ではありません。それでも顔の見える関係を大切に、今いる顧客に誠実に対応していけば、きっと口コミで広がっていくと考えています。
 避難や移住の権利を国が保障すべき地域で農業を営む中村さん。「もし避難を強制されていたら、どうしていましたか?」の質問に、少し考えながらも答えてくれました。「多分俺は動かなかったと思うよ。農民は作物を作っての農民だ。作物ができるのは、自分が耕した健康な土があってこそ。避難地域で牛に餌をやり続けて動かない『希望の牧場』の人のように、命を預かっている気持ちは一緒だよ」。田舎には休耕地があるから移ればいいとの発想が、単純すぎることを思い知らされました。

農民の被ばくを前提とする供給
 そして、福島の農家を見捨てるのかという問い自体が間違いだったことに気付くのです。食料自給率39%の日本で次にまた原発事故が起きたとしたら、私たちはどこで「安全な国産」を選ぶのでしょうか。今度福島の農家に見放されるのは私たちのほうです。放射線量の高い地域の作物を避け続けていくだけでは、「安全な国産」の未来は見えません。
 福島県の農林業経営体の数は、事故前は全国1位でした。事故を挟んだこの5年間の福島の経営体数は、全国平均の19%減を上回る26%減と一番多く減少してしまいました。日本で最も農家の多い県が汚染され、最も多くの農民が離農したのです。そして残された農民の被ばくを前提とする食糧供給によって、私たちの「国産」が保たれています。その重い現実から目をそむけずにいたいです。