今年も間もなく12月8日の開戦・真珠湾攻撃の日を迎えますが、終戦から75年経つ戦後の回顧の流れの中で、どのような記憶が呼び戻されるのか。あまり振り返りたくない史実はこの国では消されていく。史実を明らかにして後の世に残していくためには、力を尽くしている人々の努力があります。
長野県阿智村に7年前開館された満蒙開拓平和記念館もその1つです。13年間存在した「満州国」は、1932年に日本がこの地域の権益を武力で手に入れて建国した関東軍の傀儡(かいらい)国家でした。そこへ送り出した満蒙開拓団は全国で約27万人、そのうち最も多かったのが約3万3千人の長野県であったと言います。県内でも最大の開拓団を送り出した飯田・下伊那地方、この地の人びとに満蒙開拓団は語り継がれてきてここに記念館が建てられました。
ソ連侵攻前に関東軍は秘かに南下して逃れ、開拓団は何も知らされずに放棄された土地に残されました。ここから悲惨な逃避行と越冬・飢餓が続き帰国までに多くの犠牲者が出ました。元開拓団員であった高齢者の語り部の話は記録され、残された資料、写真等の展示、地元の女性館員の見事な記念館説明。私は7月に記念館に初めて行ってきました。
(水原博子)