最近発行された創刊百周年号の「週刊朝日」に、「松本サリン事件」との関連で私の名前の記載があります。1994年6月27日、長野県松本市でサリンによる無差別殺人事件が発生しました。その翌日に、朝日新聞の記者から、国際基督教大学で有機リン化学の研究を行っていた私のところに問い合わせがありました。私は、「現在使われている有機リン系の農薬で、これだけの死者が出ることは考えられない。有機リン系農薬開発の初期の段階で作られたサリンなどの毒物の可能性がある」と答えました。数日後に警察が「原因物質はサリンである」と発表したので、NHKなどのメディアに引っ張り出される羽目になりました。
警察は、この事件の第1通報者である河野義行さんを犯人と誤認していました。その年の秋に、T・Kと名乗る人物によって「怪文書」がメディアに送られ、「河野さんの自宅から押収された薬品類では、サリンの合成は不可能である」と書いてありました。そのため、早くから「河野さんが犯人ではありえない」と指摘していた私、田坂興亜が書いたのではないかと疑われたのです。いまだにT・Kが誰かはわかっていません。
警察がもっと早く、サリンの分解生成物が検出された上九一色村(山梨県)のオウム真理教施設の捜査に乗り出していれば、翌年の地下鉄サリン事件を未然に防ぐことができたはずでした。河野さん犯人説に固執したために、多くの人命を失ってしまった決定的なミスを、警察は明確に分析して後世に残すべきです。
(田坂興亜)