私が炭焼きを始めたのは、反原発運動の先駆け、「水車むら会議」を手伝い始めた1980年代でした。窯いっぱいに炭材を詰め、焚口に着火します。煙突の温度が85度ぐらいになれば、薪は足さず、あとは炭材自身の熱で炭化させます。温度を見ながら焚口を狭め、煙突の煙がなくなれば蓋をして全体を密閉し、酸素を断ってやると艶やかな漆黒の炭素の塊、炭となります。言ってしまえばそれだけですが、早く閉じすぎれば生焼けになり、タイミングが遅れれば灰になってしまう。その駆け引きが“炭焼キスト”の腕の見せ所です。
退職後の3年前から自宅近くの「市民炭焼き」に参加しました。里山の竹林が過繁茂にならないように択伐して竹炭を焼いています。炭焼きの過程で得られる竹酢液ともども、脱臭、調湿、土壌改良や自然農薬(虫が竹酢の煙臭を回避する)などの効果があり、隣接する市民農園担当者にも好評です。
昨年8月、国連のプラスチック条約交渉国会議に参加しました。国連のカフェはほぼ100%脱プラが徹底し、容器にも竹の皮と思われるものが利用されていました。中国のNGOからは、プラスチックに代わり竹を使おうというアピールがありました。日本各地の竹害(過剰繁茂)対策グループも、脱プラ対策として竹利用を進めようとするところが多くなりました。思い返せば、私の子どものころは、肉や総菜は竹皮や経木に入れて売られていましたし、買い物籠も竹でした。日常生活に再び木や竹を取り戻す試行錯誤を、私も始めています。
(寺田良一)