雪の山形を歩いてきた。本業は農業記者なので、現場を訪れ、当事者の話を聞かなければ、どうにもならない。そうやって国内とアジアの村を半世紀以上歩いてきた。
風景も田んぼのようすも、以前とあまり変わったとは見えないが、農業も農村も急速に変化している。やはり現場を踏み、そこに生きる人に会わなければ本当のことはわからない。
もう40年近い付き合いになる置賜百姓交流会の面々と飲んだ。地域でさまざまな社会運動に取り組む一方、技術も経営も一騎当千の強者の集まりなのだが、それぞれの農業は縮小の過程に入っていることが、話の端々から感じられた。
その1人、大粒ブドウの名人として鳴り響いている友人が、自分の終活について淡々と語ってくれた。80年代の終わりころ、ゴルフ場開発旋風が吹き荒れていた時だ。彼の所属する生産組合が耕す南向きの緩やかな斜面に広がるブドウ畑にゴルフ場開発の話か持ち込まれ、ほぼ全員が賛成した。若手だった彼1人が反対だった。彼は、戦後の苦しい時期、みんなで山を拓き、ブドウを植えて家族を養い生きてきた、それがいらなくなったのなら、この後この地に生きる人のために、もう1度山に返そう、と皆をくどいた。
真っ先に村の長老が賛成してくれた。みんなも続いてくれた。ブドウ園は残り、村のくらしを支えてきた。その彼がいま、ブドウ園を山に戻そうとしている。ぼくが知る上で最良の百姓といえる彼の終活話を聞きながら、その時のことをしみじみと思い出し、この国の農業そのものの終活が始まっているのだと考えた。
(大野和興)