小学生の時、「なんで進歩しないといけないの?」と母に尋ねた。「何ばか言ってるの。進歩しなきゃだめでしょ。」と一蹴された。日本が高度経済成長を享受していた時代だ。進歩、成長、発展などの言葉が世の中にあふれていたが、「昔から変わらない良さや安心感もあるのに、変なの」と、小さな違和感を持っていたのだ。
解消されない違和感を抱いたまま高校生となり、資本論入門のような課題図書を読む機会があった。そこには「拡大再生産」と共に「単純再生産」という概念があった。「ああ、これだ。変わらない良さのある社会もできる!」と嬉しかった。その後、大学での人類学の講義から、今の世界を席捲している西欧資本主義社会は、ただの1つの文明の形に過ぎないことが見えてきた。と同時に、先住民族の暮らしぶりが、一番持続可能な社会を体現していることに気づいたのだった。
現代の資本主義社会に生きている自分が、実際に先住民族のように暮らすことはできそうにないが、常に意識はしている。小さな違和感からの大きな気付きは、日消連で活動していく上でも糧となっている。
(深谷桂子)