私は夏になると、岩手県渋民村の宝徳寺の庭を思い起こします。1945年8月15日、降るような蝉しぐれの中で、静岡・掛川から再疎開していた私たちは、日本の敗戦を知りました。そして、その数日前に、長崎、広島に原子爆弾が落とされ、多数の人々がいのちを奪われたことを知りました。沖縄でのアメリカ軍との地上戦による死者は日米両軍民間人を合わせて約20万人と想定されています。東京を始め地域の市街地では、多くの人々がいのちを奪われました。戦争において「国民」は、国家の命令によって殺し合いを強要されます。
ですから私は、1946年5月3日、「第ニ章」に戦争放棄を高く掲げた「日本国憲法」が公布された時は、とても嬉しかったのです。
真の文明は山を荒らさず、川を荒らさずと喝破した田中正造は、その日記で世界海陸軍の全廃を訴え、その代わりに学生を世界に放つこと、外交員及び外交費を現在の30倍もしくは300倍にすべきだと主張しています。
今安倍首相が、日本の平和憲法の改悪を目論んでいることは許せません。
私は、田中正造の卓越した意見に大きな拍手を送りつつ、皆様と共に、憲法改悪を阻止し、私たちの平和憲法を活かしていく取り組みに全力を注ぐことを期しています。
(富山洋子)