【運営委員ブログ】 国の防衛ではなく、国民の命の防衛を(2020年12月15日)

 

新型コロナによる深刻度は周知の通りですが、その重大原因は日本政府の「不作為」、つまり怠慢と責任逃れにあることは、誰もが感じています。

皆さんご存じかと思いますが、東大の先端技術研でコロナ対策に専念している児玉龍彦さんは、今年の早い時期から政府に警鐘を鳴らしてきました(ユーチューブの「デモクラシータイムス」などで見られます。とても参考になります)。

児玉さんは、「感染区域には集中的な大量検査を行い、そして無症状感染者による拡大の悪影響を防がねばならない」と。この考えは何も児玉さんに限った主張でなく、資源や人材の短期集中型の投入は、真っ当な方法として当り前のことです。

しかし、政府は当初から、感染者の発見を嫌がるように検査の拡充を避け、専ら市民の自粛、自助努力を訴えるだけ。今家庭内感染を防げるなどという人がどれだけいるというのか。要するに感染者の洗い出しを増やすと「医療崩壊」が露わになってしまう、保健医療体制の充実に資源投入をしたくないだけです。

今の防衛計画では、次期戦闘機100機以上の購入に1兆円以上、2隻のイージス艦に約5000億円という愚を犯そうという。元東京新聞記者の半田滋さんは、今の日本は米国にとって「現金自動引き出し機」のようなものだとおっしゃっています。この一事を見ても、「国の防衛」にはふんだんに金を使うが、コロナによる国民の生活と命を「防衛」することには使いたくない。こういう全く倒錯した論理が、ますます明らかになってきていますね。

 

(池上明)