「やっぱり、除草剤でも撒こうかな……」という父のつぶやきが耳に入ってきてびっくりしました。家の周りにある土の部分はわずかではありますが、それでも色々な草が生えてくるには十分なスペースがあります。いつも気づくと父が雑草取りをしていて、悪いなあと思いながら、私が手伝うのはたまの週末に限られていました。そもそも、雑草くらい多少生えていてもいいじゃないかと思っている私と、こまめに雑草をとる父とでは、手入れのマメさが違います。
しかし、除草剤の問題をこれまでさんざん日消連でも学んできたのに、ここでわが家に撒くわけにはいきません。「腰も痛いし大変だよね。でもやっぱり、除草剤は体にもよくないと思うんだよね。」「そうかなあ、でもホームセンターでも売っているし。」「いやいや、子どもたちだっているし、近所の庭に万が一影響があったら困るし。それに、畑のミミズとかいなくなってもね……(小さなスペースで季節の野菜を時々つくっています)」と少しずつ父の気にしそうなことから話していきます。「ちょっとくらい雑草が生えていてもいいと思うよ。おもしろい花が急に咲いたりするんだし」と、一番の問題である私の「草取り無精」のハードルを下げつつ、「もっと私も草取りするから……」でなんとか収まりました。
身近な人とは意外と重要な話をしていないもの。自分の当たり前が相手の当たり前だと思い込んでいることに改めて気づきました。20年後、今より体力がなくなっても草で埋もれないよう、実践的な草との付き合い方ももう少し身に着けておかなければと実感しました。
(廣内かおり)