年の瀬に古い本や資料などを整理していたら、青森県六ケ所村の元村長・寺下力三郎さんの講演記録が出てきました。青森県が核燃料サイクル施設の受け入れを決定した1985年に東京で開催された集会のものでした。
1971年、国の新全国総合開発計画の一環で、突如襲ったむつ小河原巨大開発に、当時村長の寺下さんはいち早く反対を表明。開発反対の機運は一気に高まりましたが、73年の村長選で開発推進派に僅差で敗れ、反対運動は徐々に後退を余儀なくされました。
寺下さんは「青森は貧乏だ。田畑に高値が付いてみんな飛びついたが、持ち慣れない金を持つと邪険に扱って金はなくなる。農民に土地がないと、出稼ぎ以外では生活が成り立たない」と当時を振り返り、核燃については、「財布が冷え切っているところに、核燃で1兆円の投資と言われ、住民は自分の懐にも1万円札の何枚かは入ると錯覚を起こす」、「都会の皆さんには、高度成長・経済発展は田舎をいじめて都会の方々が腹いっぱいになることだ、と申し上げたい」と話されました。
以降、青森では寺下さんの遺志を継いで、今年もまもなく「4・9反核燃の日」行動を迎えようとしています。
(亀山亜土)